私、書きたいです!
私、書きたいです! インタビューにお邪魔していいですか?
??? ど、どうぞ〜
レジ前であつーい心で遠慮深く提案してくれたTadakiさんの顔が今も忘れられない。
で、先日本当にお越しいただきまして、インタビューに応じました。
しゃべりまくる私。。。まあ、いろいろあったもんで。。。
そして、文章を仕上げていただきました。
まずはそのままの原稿をご紹介します。
ーーーーーーー
Yoshie Tadakiさんのプロフィール
フリーライター&インタビュアー。パソコンと大量の書類に背骨が負けそうになりリュックを導入。しかし、中年ビジネスウーマンに似合うデザインのリュックがなく、もんもんとしていたときにコアルーと衝撃の出会いを果たす。愛用のラフィーL(グレー)とクーリーL(ブラック)は、用途に合わせてヘビーローテーション中。
このバッグをつくった人に会いたい!と突撃したインタビューがこちらです。
ーーーーーー
ワクワクしながら仕事がしたい。
■仕事の全体が見えるところで
韓国で生まれ育ち、24 歳で来日。日本の大学で学び、同級生と一緒に就職活動もした。
大企業も受けたけれど、いまひとつ仕事の面白さややりがいがあるように思えなかった。
大き な組織のなかでは、自分ができるのはほんの一部の仕事だけ。
だったら、小さい会社で仕事 全体が見えるところで学びたいと方向変換。
在学中から翻訳のアルバイトをしていた出版 会社に就職した。
「それが、入ってみたらメチャメチャ貧乏な会社だったの。人も足りなくて。
韓国出身の私 が、日本語の校正までやるっておかしいでしょう (笑)。
で、これは何とかしようと」 早速、翻訳部を立ち上げた。
小さな会社だからフットワークは軽い。
1998 年、インターネ ットが急速に普及しはじめた頃だった。
友人のアドバイスで、インターネットからの受注窓 口を開設したら、どんどん仕事が入りはじめた。
なかでも、ある特許関係のクライアントか ら翻訳を継続的に依頼されるようになる。
「特許が得意分野?とんでもない。
特許って、最先端テクノロジーの世界だから専門用語ば っかりで、もう、2行で眠くなっちゃった。
たった数行に数時間かかったこともありますよ」
これではワリにあわないと思い、特許関係の仕事専用の辞書をつくってワープロに片っ端から単語登録し
スピードアップをはかった。そして初年度に1千万円を売り上げた。
必要に 迫られて勉強するうちに特許のことにも詳しくなり、結果的に一石二鳥になった。
■これほど難しい仕事があるのか!
職場で結婚、そして子どもにも恵まれた。2歳違いのふたりの子どもの子育てに忙殺される 日々がやってきた。
「なんだこの小動物はー!って思いました(笑)。食事から排泄まで、
何から何まで世話をし ないと生きていけない生物。
世の中にこれほど難しい仕事があるのかと思いましたね」
自身の体調もあまりすぐれなかった。
下の子の授乳をしながら、2歳違いの上の子の離乳食 を這うようにしてつくる。
屋外に出ると、日差しでクラクラして生命の危機を感じた。
「これは工夫してうまくやらないと、やっていけない」
子どもたちの寝かしつけに2時間かかったので、何とかしようと思っておんぶひもを考案 した。
そのうち外出の機会が増えてきて、今度は「子育てママが使いやすいバッグ」に興味 が移っていった。
「毎晩ヒモを持って、あれこれ試していました。夫は、夜な夜な何してるんだ?
って不思議がっていました」
ある朝。突然アイディアが頭をよぎった。
2本のひもを組み合わせる方式。
「これじゃん!」 と思った。
実は、そのちょっと前に別のアイディアを思いついて、
実務的な検討を重ねているところだ った。
でも、新しいアイディアのほうがずっといい。前のアイディアはあっさり放棄した。
「たとえ何十万円かけて特許をとっていても、
今思いついたもののほうがよければ捨てる。 妥協したくないんです」 その姿勢は今でも変わらない。
要望を受けて商品化したコアルーの付け替えベルトがあっ た。
でも、やはりコアルーのバッグと同じ性能は発揮できない。
悩んだが、結局ベルトは納 得のいくものができるまで売らないと決めた。
在庫は無料で配っている。バッグのリニュー アルにあたっても同じ姿勢だ。
改良前の商品は、新モデルと比べてどこが劣っているのかの 理由をきちんと説明し、
大幅に値引きして販売する。モデルチェンジ前の在庫処分、という 発想はない。
■わかってくれないなら自分で
コアルーバッグのアイディアを思いついたときは有頂天だった。
「これはいい」と言ってく れる人も多かったし、
自信を持って意気揚々とバッグメーカーを訪問してアイディアを売 り込んだ。
「ぜったいどこかの企業が欲しがる、買ってくれると思い込んでいました。……青かったで すね」
メーカーの壁は厚く、外部からやってきた個人の意見には耳も傾けなかった。 ならば、自分でつくろう。
バッグなんて、誰だってつくれると考えた。
その頃入っていた発明学会の仲間たちと展示会にブースに出展したときにアドバイスして くれた人があり、
会社を立ち上げることにした。 「まず会社をつくってしまった。
これも素人考えでしたね。バッグが売れたらお金が入るん だから、会社の運転資金なんて、
なんで先に用意しなくちゃけないの?なんて思っていまし た」
発明家仲間がマスコミにも紹介してくれた。反響はよく、最初の製品はあっという間に売れ た。
「在庫がない、すぐにつくらなきゃ」と銀行から資金を借りて大急ぎで制作にかかった。
そ の縫製作業の最中に、東日本大震災が起きた。
■開拓する星と支える星
その頃の主力商品は、「山ガール」ブームに乗った、ちょっとオシャレな帆布製だった。
しかし、震災直後の日本では「少しでも大きなバッグ」「丈夫で軽いナイロンバッグ」など、
実用本位のものが求められるようになって、コアルーバッグは急に売れなくなった
「被災者もそうでない人も、あの時期は心がサバイバルになっていたんでしょうね」
関西地方で制作中だったバッグは災害の影響もなく、その後しばらくたって納品された。
し かしそれは、支払いをする日がすぐ来るということでもあった。 銀行は貸してくれない。
バッグは売れないから収入もなく、自分の持ち合わせもない。追い 詰められた。
「夜、寝ようとすると、首は天井につるんだよねーとか、つい考えてしまって」 でも、死ぬのはやめた。
小学校低学年の子どもふたりを置いて行くわけにはいかなかった。
韓国にいる妹からは「帰って来たら?」と心配して何度も連絡があった。
でも決心が変わら ないとみると、今度は「家計簿だってつけてないお姉ちゃん、
お金儲けが苦手な人だってい うことはわかっていたよ」と言って、資金を援助してくれた。
忘れられない出会いもあった。
以前、隣同士に住んでいたママ友から、久しぶりに電話がか かってきた。
「元気?」と訊かれたので、「今大変なの。もうお店たたむしかないわー」と、 ありのままに答えた。
その数日後にまた彼女から電話があって「うちの母が、お金を取りに来てって」と言われた。
何のことかわからなかった。ともかく出かけて行って話を聞くと、「女性起業家を応援した い」と言われた。
「あなたは新しい道を開拓する星、やるしかないのよ。そして私は支える星。
負担に思わな いで、頑張りなさい」
自分の若い頃は色々なしがらみがあってやりたいことを存分にできなかったのよ、
と語る 老婦人の言葉に、ビックリして涙も出なかった。
■わかってもらうように伝える
運転資金のめどがたち、各地のイベントなどにコアルーバッグの在庫を抱えて販売に出か けた。
少しずつだが着実に在庫は減っていった。大きな荷物を持っての出張は大変だったが、
今から思えば、多様な顧客に出会って多くを学んだ時期でもあった。
「どう説明すれば商品のよさをわかってもらえるか。それを、すごく考えるようになりまし た」 失敗もあった。
リュックを背負って販売ブースに来た人に「リュックよりもコアルーバッグ のほうが」と勧めたら
「私のリュックをバカにするの?」と逆ギレされてしまったり、
「安 いねえ」と褒められていい気持ちになっていたところに来た次のお客さんに
「安いでしょ」 と言ったら「それはアンタが言うことではない」とピシャリと叱られたこともある。
やがて経営が軌道に乗って、最近では女性経営者としてアドバイスを求められることも増 えてきた。
「でも、人には勧められない道かなあと思ってます。
賢くふるまってお金を儲けることはで きるかもしれないけど、それはほかの人がやればいいと思う。
私がやることじゃない。私が やりたいのは、いいものを作り出していくことだから」
2017 年春、常設店舗をオープンした。そこには、子育て中のママやワーキングウーマンが やってきて、
荷物の多さや持ちにくさ、肩こりや腰痛などの悩みを打ち明ける。
「コアルー と出会って楽になったから」と友人を連れてくる人、プレゼント用にと買っていく人もいる。
居合わせたお客さん同士で「それ、似合ってますね!」と会話が始まることも珍しくない。
「ひとりひとりのバッグの悩みに寄り添い、
コアルーの良さをじっくり理解してもらえる 場所ができたことが、とても嬉しいんです」
個性的なショップが建ち並ぶ吉祥寺の通りの一角にある店舗には、
今日もお客さんとのお しゃべりの声が響いている。
おわりーーーー
なんだか、ドラマ! テレビ番組にもなれそうな文章をいただき、本当にありがとうございます。